【たかが難聴、されど難聴】7)難聴は気難し屋です

【たかが難聴、されど難聴】7) 難聴は気難し屋です。肯定しても否定しても、うまく付き合うことはできません。

我が子の難聴との付き合い方はそれぞれです。
まず大前提として、親としては何があっても「間違いだった、後悔している」とは言いたくない、言えない。
大きい不安を抱えている時には特に、自分を安心させるために同じ方向を向いている仲間とがっちりスクラムを組みたいもの。逆の方角を向いている人たちのことは心の中から追い出し、承認要求を満たしてくれる言動のみを探しがち。
難聴との付き合い方に正解はありません。でも、我が子の難聴との付き合い方には「我が家の正解」があるはずだと、私は思っています。そしてそれを探し出すミッションは、親が引き受ける以外にはありません。だから「しまった! ~~しておけば...!」とならないためには大選択の前にちゃんと勉強しておくしかないのです。

今回は、我が子の難聴を引き受けたはいいけれど、頑張りすぎちゃうパパやママへのメッセージです。

しっかり難聴について勉強して、最良の補聴と聴覚管理を怠らず、何はさておいても(家事は手抜きでも)質の高いやりとりを心がけ、幼稚園や学校の理解も勝ち取って、めでたく聞いて話す子に育ちました。受け答えはごく自然、他の子と同じようにスポーツもすればピアノも上手になってきて、この頃では気づかない人もいたりする。親自身も難聴のこと忘れている時が多くなったりして、まさかこんな風に育ってくれるなんて夢みたい..... 思い当たりません? 我が家がまさにそうでした(ピアノ以外は)!

幼い頃は、とにかく普通に、みんなと同じことができるようにしてやりたいという一心で、聞こえにくいことがことばの遅れにつながらないよう、一生懸命でした。
ところが、ふと気がつくと競争しているんです、難聴と。私が!
「難聴め、見たか、お前なんかに負けないぞ!」「物の怪め、失せろ!」みたいな。まるで陰陽師! 我ながら歪んでるなぁと思います。きっと鬼顔になってますよね。

頑張る親の完璧主義。勉強会/講演会はすべて参加、難聴児の躓きやすいところをしっかり事前に把握して、心の準備・教材の準備すべて万全、9歳の壁を乗り越えるため5歳あたりから助走を始め、語彙も積み上げ、貯金があれば楽だからと読み書きも早め早めに学ばせました。まぁ、空気(行間)が読めないし、助詞の間違いもあるし構文も幼いけど、それは想定内、これからも徹底指導していきます。だいじょうぶ、この子の可能性を信じて、ずっと応援していきます。 ....こちらは何顔かしら? 仏顔?

難聴児をしっかり育てようとするあまり、難聴児脳を育てちゃってることがあるんです。

「ママがお手本です、たくさんことばをかけてね」と指導された、責任感の強いママたち。
こんなこと、思い当たりませんか? 

何でも先読みして代わりに言ってあげて、お子さんは「うん/ううん」ですませてしまってませんか? 
家族の会話が弾んだ時、難聴のお子さんはつい「つんぼ桟敷」(死語、少なくとも差別用語かな)、そのあとでママが話をまとめて(簡略にして)通訳していませんか? 
話せることを重視するあまり、復唱ばっかりさせてませんか?
言ったことが他の人にどう捕らえられたかということばと心の綾まではいっしょにフォローできてないこと、ありませんか? 

こういう残念な頑張りの積み重ねで、難聴児が陥りやすい落とし穴を自ら掘ってしまっている....
罰当たりなことを書いてごめんなさい。
なんとも遣る瀬ないのですが、でも、敢えて言います。
自分のことばを持たず、親の言ってほしい「正解」を求めてしまう難聴児さん、めっちゃ多いです。

難聴とその弊害を受け入れずに頑張らない親や、早すぎる安心をしてしまう親も、もちろん残念です。
難聴児の療育に徹することと、本当の意味で社会にインテさせることの微妙なバランスは、とてもとても難しいのです。
生きる勇気を奪うような暴言に屈してはいけない。
でも、「大丈夫、聞こえなくても何とかなります」的な甘いことばにも決して誘惑されないようにしてね。

だから簡単自衛策①「それほんと?(理論的・経験的な根拠は?)」
②「私はほんとにそうしたい?(我が家の家族の形として心から賛同できる?)」
③「ほかには道はないの?(すべての選択肢を正直に提示してくれている?)」

この3つの問いはぜひしっかり問うこと。「しまった!」にならないために。
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