【たかが難聴、されど難聴】 6) 難聴は神出鬼没です 

 難聴は神出鬼没です。捕まえたと思うとするりと消えて、別のところに顔を出します。

「難聴ってモグラ叩きなの?」みたいな印象を持たせてしまうタイトルですが、古典的なゲームのランダム性とは違い、難聴の「モグラ」には秩序があり、重層的である、というお話をひとつ。

なーんだ、順番があるなら簡単じゃないか。ドの後にレが来ることがわかっているなら、レで待ち伏せして叩き、すぐにミに移ればいい。そう考えたあなたは偉い!…といいますか、これまでの難聴児教育はまさにそうやってきたわけです。

  • ド=ことばが遅い。難聴を疑いましょう。
  • レ=難聴だ。適度に補聴しましょう。
  • ミ=補聴しても普通に聞こえるわけではない。だから手話で理解を育てましょう。
  • ファ=手話に音声も載せていく。でも視覚情報がたくさんないとキビシイわね。
  • ソ=視覚優位に育ちます。そうするとどうしても抽象語彙への移行が難しい。
  • ラ=「9歳の壁」にぶつかりました。これを乗り越えるために….etc. etc.

もうおわかりでしょう? これは単なる問題の先送り。

目指すべくは、難聴をモグラにしないことなのです。

難聴がわかった/疑われたらできるだけ早く(理想的には生まれてすぐの新スク後すぐ)、医学と補聴の両方の専門家(稀なケースを除いて別々の専門家です)の協力を得て、どんな難聴なのかを白日のもとに「晒す」(失礼、モグラ比喩なのでこの表現)。

遺伝か疾患か奇形か。遺伝ならばどのタイプか。伝音性か感音性か。軽度か中度か高度か、そして進行性か。補聴器で効果は見込めるか、人工内耳も視野に入れるか…などなど。

さらに、療育の専門家もチームに参加していただき、保護者の文化的・言語的背景や心構え、発達の問題の有無、療育方針の選択肢などについて事実を明らかにしていくのがいい。

明るい光のもとでこうしたことをできるだけ見極め、その上で対策を練る(最善の補聴にやりすぎは無く、聴能訓練をするのなら手話も絵カードも使わない)。

実行に際しては常に発達をモニターし、必要な軌道修正を柔軟にしていく(「~歳になるまでわからない/様子を見る」は逃げです)。すべて専門家のチームワークのなせる技であり、今日の医学と補聴技術をもってすれば可能なことであり、療育分野が合理的かつ柔軟な思考をするならばアッタリマエであるべきことです。

そしてチームリーダーは親、ね。(←ここ大事!)

親は自分の子どもについては唯一無二の専門家ですから、自信をもって子育てすればいいのです。ただし、どうしても安心したいという心理が働いて見方が偏るので、専門家の厳しい目を常にそばに感じておく方がいい。だって、モグラ叩きには他のドレミ・パターンもあって、例えば…

  • ド=難聴がわかった。一刻も早く人工内耳手術をしよう。
  • レ=閾値取れてる。聞こえてる(喜!)。よし、ことばを教えよう! これ(絵カード)はリンゴだよ。リンゴ。言ってごらん。
  • ミ=言えることばが増えてきた(喜!)。特別な支援はしてもらえないけど普通幼稚園に入れよう。
  • ファ=みんなと同じように遊んでる(喜!)。あれ、電池切れてた!?
  • ソ=けっこうおしゃべり(喜!)。でも人の話を聞かないなぁ。笑いがずれてるかなあ。
  • ラ=ALADJIN(*)を受けてみた。話す割に理解がおぼつかないと言われてショック! etc.etc.

時々警鐘が鳴っているのに、どうしても「だいじょうぶ」と思いたい方が勝ります。ALADJINの結果で初めてモグラが地下にもぐっていたことに気づく… そこから正しい対策を取ることができれば挽回できる部分も大きいとはいえ、専門家チームが機能していれば避けられた状況かもしれません。

(*) ALADJIN =聴覚障害児の日本語発達検査 http://www.techno-aids.or.jp/aladjin120215.pdf冊子「ALADJINのすすめ」は絶版、公益財団法人テクノエイド協会HPよりダウンロード可。検査は全国の(良心的な)医療機関および聾学校でできる(はず、な)ので、まずは「うちの子検査してください!」と声をあげてください。対象年齢:年中さん~小学校低学年 (高学年まで可)。

さて、「重層的」と重々しいことばを使ったわけ。それは、ことばというものの多面性を言いたいがため。「難聴=耳が悪い=音を捉える器官の障害」という面ばかり見て、「音が聞き取れる」「音として出せる」ばかりを目指すトレーニングをしてしまうケース、よくありますね。でもそんなことはオウムだってできちゃうわけで、人間が言語をあやつるってそんな単純なことじゃない。「ぺらぺらしゃべれる」はすなわち「ぺらぺらとしか話せない」ことだ、くらいに肝に命じていたい。

発せられた音の音色、抑揚や強弱、発語の状況や人間関係、同時に体験する動作や思い出の中から呼び起こされる感情、そこから立ち上がってくる意味の広がり…。それらすべてを含めての、ことばをもって考え、意思疎通し、行動するということ。耳一聴覚神経一聴覚野一扁桃体一海馬一運動野などなどなど、脳のいろいろな部分が関わりあって初めて成立する営みです。

聞こえの問題は、そうした行為としてのことばのやりとりの、ほんの始めのところにあるでこぼこ。そこを越えられないと後も続かないけど、そこにばかり力を入れていると、「話せる」ことで安心してしまって、多面性を欠いたことばだけが育ってしまうのではないかな。つまり、絵カードを並べるのと同じことばの羅列。医学と補聴技術の進歩で「聞こえる」「話せる」が以前より容易になったことで、逆に大きなモグラの穴が見えにくくなっている。

9歳の壁と呼ばれるのは、ドでしっかり捕まえて検証しなかったモグラが地下で太ってラやシあたりで出てきただけ。神出鬼没なんかではありませんね。せめてここではもう叩くだけではなくて、白日のもとでしっかり検証してください。

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