【たかが難聴、されど難聴】 1)難聴は驚きです

 1) 難聴は驚きです。 母親さえ気づかないこともよくあります。

わかんなくて「当たり前」といっては語弊があるけど、わからなくても仕方ないところはどうしてもあります。少子化だし、核家族だし。そもそも家族に難聴者がいない場合が大半なので、考えてみたこともないし。だから「母親なのに今まで気づかんかったのか!」と非難されても悲観しないでね。
障害、でも見えない障害。だから受け入れるのが難しい。「まさか」「こんなに元気なのに」「再検査してみたらきっと・・・」「歌を歌ってあげると泣きやむから聞こえているはず」「呼ぶと振り向くこともある」... はっきりさせない言い訳はいくらでも探せます。

新生児聴覚スクリーニング(略して新スク)で難聴がわかるケースが増えています。つまり、産後の不安定で不安な時期に診断を受けて大ショック!という人がほとんど。しかも医師からは「普通に話せるようにはならないでしょう」と突き放されたり、「だいじょうぶ、愛情があれば」と慰められたり、はたまた「お母さんの育て方にかかっています!」と鼓舞されたり、人によって言う事が違って大混乱! 新米ママにはかなり過酷な状況です。
自分と、パートナーと。二人でいっしょに診断結果を受け入れることが大事。これから具体的にどうすればいいのか、それはこれから考える。でもまず、二人の間の子の人生のスタートに、二人で関わろうという決意。絶対に必要な一歩!
もしかしたら、新スクを受けていなくて、あるいは受けていてもパスしていて、ある時点でママかパパかどちらかが「なんかおかしい」と感じ、検査に行ったかもしれませんね。そうしたら、二人で関わろうという気持ちは、もうそこで(診断前に)確認できているかもしれません。
それでもやはり診断結果は重い。二人のチームワークは否が応でも試されます。
青天の霹靂の難聴宣告。みーんなそこからスタートです。

注)新スクについては、日本で導入された2000年当時、「見つけるのはいいけど受け皿がないから」と反対する声がありました。導入の背景には「早期発見を早期介入につなげ、ことばの遅れが生じないようにする」という目的があり、「早期発見を早期介入につなげられれば、ことばの遅れは最小限にとどめられる」という研究成果の裏付けがありました(そこから「早く見つけて早く治そうという、難聴退治を推し進める暴挙だ」として反対する人は今でも少なくありません)。
実際、発見が遅れ、介入が遅れ、ことばが遅れがちだった新スク以前の親たちからすれば、羨ましいこと限りなし。「早く見つけられる」というチャンスがあるのだから、それをどう活かすか、ですよね。

ところが、全国にあまねく聾学校があり、そこに幼稚部があり、その多くは乳幼児相談をしている日本でも、「受け皿がない」問題は解決されていません。それは数ではなく、一つには選択肢の欠如の問題として、そしてもう一つには質の問題として存在するのです。「早期発見・早期介入」という時、赤ちゃんの脳の発達の研究から「1-3-6ルール」が提唱されています。「生後1ヶ月までに難聴かもしれないケースを見つけ、3ヶ月までに診断確定、6ヶ月までに補聴と療育の介入」。この速いペースを実現するためには、産科一耳鼻咽喉科一小児の補聴器専門家一小児の療育専門家の連携によってご両親を的確に誘導することが欠かせません。その際ご両親の心のケアと啓発にきめ細やかに当たることも大切で、この点に関しては専門家は一方的な方向付けを慎み、親が納得して自主的に進路を選択できるよう中立の立場で選択肢を明示することが求められます。
つまり、 「早期発見・早期介入」というプロセスは強力に推し進めながらも、その方向はあくまで親に任せることができる、そういう高い専門性をもった「受け皿」を作っていく必要があるのだと思います。

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